鴨東四時雑詞 中島棕隠
中島棕隠の京都の風情を詠った詩です。
鴨東四時
鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし)
其九十一 其の九十一
繊手鳴刀各慣忙 繊手 刀を鳴らして 各々忙に慣る
店頭菽乳照紅裳 店頭の菽乳(しゅくにゅう) 紅裳(こうしょう)を照す
軽軽串得稜稜整 軽軽 串し得て 稜稜(りょうりょう)整ふ
三尺泥爐炙雪香 三尺の泥爐(でいろ) 雪を炙って香(かんば)し
泥爐=土製の爐(いろり)
鴨川の東、祇園の花街の風俗を詠んだ詩。
祇園の飲食店でしなやかな女性の細い手でかつ手慣れた手つきで包丁をさばき、豆腐を串刺しにして、土製の爐で炙って客に出す様、香ばしい匂いが立ち込めている。
繊手=女性の細い手
菽乳=豆腐
紅裳=赤い前掛け
稜稜=かどだつさま
雪=豆腐の形容
『鴨東四時雑詞』中島棕隠
『洛中洛外漢詩紀行』(人文書院)をひもといてみますと、
棕隠の『鴨東四時雑詞』はヒットして昭和初期まで版を重ねて売れていたそうです。鴨東は通常祇園と呼ばれている地域です。江戸時代の中頃から芝居小屋や茶屋が立ち並んで遊興の街として賑わいました。
鴨東は平成の今も賑わっていますが、様相は変わりました。
かつては四条橋から縄手通の大和橋あたりにかけての一帯、鴨川と白川に臨んで茶屋が櫛比(しっぴ)する艶冶(えんや)な花街の風情を醸し出していました。
四条河原の東岸には、縄手通に沿った二階建て茶屋の裏座敷が落ち着いた連子(れんじ)窓を並べ、白川の流れが鴨川に注ぐあたりには「縄手引込み茶屋」冨田屋名物の二本柳が川面に大きく枝にしだれかけています。
今はそのどれ一つとして残っていません。
山口素絢の絵
オランダ人が蘭医と共に食事に呼ばれた図。またオランダ人は街に出て鴨東の豆腐店に寄り、炙った豆腐を食べたということです。
四条河原夕涼図