昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

蕎麦  柏木如亭

 江戸のグルメ紀行本『詩本草』柏木如亭から紹介します。



 蕎麦は信濃を以て第一と為す。その香味、他州の及ぶ可きに非ざるなり。嘗て書を墨坂大夫の後園に読む。厨下(ちゅうか)頻頻としてこれを供す。因て「蕎麦の歌」を作る。云はく、

  江都(かうと)は人世の極楽国
  口腹(こうふく)何を求めてか得べからざらん
  時新の魚菜 奢靡(しゃび)を尚び
  燕席争ひ供して勅を奉ずるが如し
  昇平の士女 愁(うれひ)を知らず
  食前方丈 公侯に擬す
  信山の蕎麦 物の敵する無し
  相魚(そうぎょ)駿茄(しゅんか)遜(ゆづ)ること百籌(ひゃくちう)



 
 墨坂=須坂。大夫=須坂藩家老駒沢清泉を指す。
 江都=江戸。
 奢靡=身分不相応な贅沢。
 相魚=相模の魚、ここでは江戸で珍重された鎌倉沖のかつおを指す。
 駿茄=駿河名産の茄子。
 遜百籌=はるかに劣る、大きく負ける。籌は数取りの勝負に用いる竹の棒。



 信州の蕎麦については、寛政八、九年のものと思われる如亭の益田勤斎宛の手紙に面白い記事がありました。


 冬、信州中野の門人木百年(小峰)と如亭が信越を遊歴した時のことであるが、次のように言う。
 ここを過ぎて信越の地界に関河というところだが、ここの水の元は妙高山中のないの滝という千仞の飛流である。
 その夜は河の手前熊坂邨という僻地に投宿した。ここに小峰という医者がいて六十過ぎ、息子は二十四、五歳。二人ともおろかものだ。でも近村では支那戦国時代の名医扁鵲(へんじゃく)に喩えられている。笑える。
 その日は至って寒さが強く、かの扁鵲がぶるぶる震えながら座敷に晩ご飯を出した。時にかの清水に浸した河漏(かろう)である。
 ようやく三椀食べた。だが信州の知名度の高い蕎麦どころだけあって味はすこぶる好い。



 河漏=河漏式麺(押し出し製麺)の蕎麦切り。



 (参考:岩波書店)


×

非ログインユーザーとして返信する