赤坂台町の2階を貸す
赤坂台町の2階はアパートとして貸していました。A号室~D号室には二号さんとか銀座のホステスさんとかが借りていました。
昭和38年当時にもかかわらず彼女らにとって朝シャンは珍しくなかったのでしょう。地域性もあってシャワーは必須だったと思われます。実態は把握できませんが、昭和30年代に港区のアパートにシャワーが設置されていた可能性は高いと思います。
それでも彼女たちの電話は呼び出しでした。うちが受話器を取って「何号室の何某さんお願いします」と言われれば、外階段を上がって「何某さん、電話ですよ」と呼びかけます。
ぼくも小学3、4年生のころ2階に上がって、C号室のドアを開けて「Sさん、電話ですよ」と呼びかけました。「ハ~イ」と返事がバスルームから聞こえてきました。見るとSさんは真っ裸でシャワーを浴びていました。ドアの鍵もかけずにです。背中を向けていたのでビックリさ加減は少なかったですが、20歳代の女性の裸は写真でしか見たことがありませんでした。銀座のホステスさんはすごいなと子ども心に思いました。
Sさんはのちに同じC号室に住んだ仕事仲間のSさん(イニシャルは同じですが苗字は違います)と一人の男性客を取り合う因縁がありました。