昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

日本橋室町→赤坂

 前に祖母は日本橋室町から戦災被害者で赤坂に引っ越してきた、みたいな書き方をしたかもしれませんが、東京大空襲ではないようです。というのも空襲はその前からあったといろいろな人から聞きます。
 祖母は日本橋に住んでいる時にすでに被災者居住権を持っていたようです。
 時代はさかのぼりますが、昭和13年に祖母は日本生命本社営業部に保険の外交として勤め始めました。日本生命は当時日本橋高島屋の中にありました。高島屋の屋上で撮った写真も残っています。担当は日本橋区域でした。住まいは渋谷の大和田(現在の宇田川町)でした。祖母の営業成績はトップでした。
 ところが、どこかのお嬢さんが来て日本橋区域の担当を取られてしまいました。そのころはどこかのお嬢さんでも保険の外交をやったそうです。祖母は赤坂区域の担当になりました。このことは戦後良い下地になりました。
 その前後に空襲の激しい時があったと思われます。渋谷の家から日本橋室町の「にんべん」の裏に移り住みました。従弟のH夫(苗字は祖母と同じ)は妹二人を連れて祖母の家に転がり込んできました。H夫は東京電燈(電力)に勤めていました。苗字が同じことを利用して祖母の家を乗っ取ろうとしました。祖母は近所のお肉屋さんに相談しました。ハンコに祖母の下の名前も入れると良いというアドバイスを受け、栃木の郷里に行って印鑑登録を変えました。
 その事実を知ってH夫はくやしかったらしく廊下の暗がりで、
「おめえもただのねずみじゃあるめえ」
と、ぼやいたそうです。祖母の葬儀の時にH夫の親戚が「世話をしてやったのだ」と言っていましたが、全く真反対の話なのです。

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