テケツの女~上野の映画館
祖母は赤坂に住む前に東京のあちこちに住みました。
大正の後半は芝區の西久保巴町の親戚の家に身を寄せました。ここは虎の門と神谷町の中間あたりです。
その前後に愛宕の青松寺に一週間泊めてもらったこともありました。
それと淀橋町大字角筈(昭和7年以降は淀橋區角筈)ここは新宿駅の東口西口一帯ですが、父が生まれたところでもあります。
同じく淀橋區百人町、四谷區の若葉町、左門町にも住みました。
どの時期か判りませんが、上野の精養軒の会計係を務めていたころです。髪形が神功皇后に似ていると客に言われたことがあったそうです。
そのころ上野の映画館のモギリをやっていたのが女優の飯田蝶子でした。祖母より五つぐらい上です。
飯田蝶子は上野の松坂屋の店員をしている時にスカウトされたと伝わっています。その前に映画館のモギリのバイトもやっていたのでしょう。
上野界隈ではテケツの女と噂されていたそうです。モギリから女優になったから庶民の注目を浴びたのでしょう。
テケツというのは現在でも寄席などでは使います。
Ticketsをネイティブな発音で聴くと日本人の耳にはテケツに聞こえる、ということだと思います。