昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

お酒の変遷 ウィスキーから焼酎へ

 田宮二郎とか川崎敬三、若尾文子が出てくる映画ではハイボールというセリフが多いです。ダブルを頼むときはイヤなことがあったとき。映画の中でVAT69とか銘柄が出てきます。


 ぼくらの世代だとハイボールはほとんど死語でした。ウィスキーに炭酸を入れるのはキャバレーに行ってる大人の金持ち、若い世代はたいがい水割りかロック、コークハイ、ウーロンハイがほとんど、コークハイは炭酸が入っていますが、ハイボールとわざわざ注文するのは上の世代だったと思います。


 父の世代だと久しぶりの訪問客には氷は付いていました。うまくいけばミネラルウォーターだったでしょう。ぼくらの世代でも金持ちのホームパーティーに氷とミネラルウォーターは必須アイテムだったように思えます。その折炭酸があってもおかしくはない。


 そのうちいつの間にかチューハイが主流になりました。ウィスキーは高く、焼酎は安いためでしょう。焼酎というと肉体労働者が飲むものという観念は頭の隅にありました。あれは乙種焼酎で我々の若いころは甲種焼酎だったのですが・・。


 なのでぼくらの世代はちょうどウィスキーから焼酎に移行する変わり目だったかもしれません。お酒の味を楽しむなんて余裕はありません。飲み会でいかにスムーズに事が進行するかを考えていた年代です。ウーロンハイとチューハイの味の違いなど無意識裡に進行していた感ありです。
 
 それとジンなどクセの強い酒も流行りました。ジンライムとかなんでこんなにクセがあるのかと思いながらあおいでいたように想い出します。


 家で一人で飲むこともありました。80年代だったと思います。スーパーで買った樹氷?なる焼酎を何本か買った記憶があります。25度と35度があったと思います。サントリーオールドも1、2本、サントリーホワイトも1、2本呑んだ記憶があります。


 日本の大手洋酒メーカーの創業者Tさんは表町のうちに妾を囲っていました。松濤のN
侯爵のお嬢さんです。


 数年前からハイボールが復活して流行るようになりました。ぼくも久しぶりにウィスキーを注入してみました。何が入ってるかわからない中国の白酒を呑むより国産のウィスキーを呑んだほうが安心と言えるでしょう。ハイハイニッカなかなかですね。


 これから国産ウィスキーも少しずつ試してみようと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する