江戸漢詩の吉原
江戸漢詩の中でわりとやわらかめの吉原の風景の詩を見つけました。市河寛斎の「北里歌」です。北里とは吉原遊郭のことです。
もともと中国で竹枝というのが男女の情事を詠じたものでしたが、江戸の後期にも竹枝は試みられるようになって『日本竹枝詞集』が編纂されました。寛斎の「北里歌」も含まれています。
(現代語訳)
昨夜からの二日酔いで、花の盛りの朝だというのに床についたままの花魁が、盛んに酔い覚ましの煎じ薬をほしいと催促するので、つきそっている禿(かむろ=少女)が二階から降りて、家のなかから簾越しに向かいの家の薬屋を呼んでいる。
(読み下し文)
夜來、酒に病み花晨に臥し、酔ひを解く香湯、索(もと)め得んとすること頻(しき)りなり、閣を下る丫鬟(あ・くわん)、戸を出でず、簾を隔てて連呼す、対門の人。
(原文)
夜來病酒臥花晨
解醉香湯索得頻
下閣丫鬟不出戸
隔簾連呼對門人
(注)
丫は「あ」です。鬟は「くわん」つまり「かん」です。髪を束ねた意味です。
市河寛斎は1749年生まれです。同世代には大田南畝1749年生まれ、菅茶山1748年生まれがいます。ゲーテは1749年生まれです。