昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

江戸小噺 娑婆以来

 江戸の小噺に露休置土産(ろきゅうおきみやげ)というのがあるそうで、露の五郎兵衛という人が作った落語の一種だそうです。うろ覚えなので間違っていたらすみません。



 ある男が遊郭の遊女を誘って心中をもちかけた。川のほとりに来たけれどなかなか決心がつかない。男は遊女に先に飛び込んでくれと言った。遊女も、いやいやついて来たけれども引っ込みが付かなくなり、真っ暗なのをいいことに大きな石を放り投げた。
 「ドボーン!」


 男はというと、ありゃあ、女のやつホントに飛び込みやがったと思った。急に怖気づいた男は大きな石を放り投げて、
 「ドボーン!」
 すまねえな今回はこれで許してくれと祈って、その場を逃げた。


 やれやれと日本橋を歩いていたら、向うからさっき川に飛び込んだはずの遊女が歩いてきた。男はとっさに紙冠(死人の額に着ける三角布)を額に当てて「娑婆以来」と言った。



 何とシュールなショートコントでしょうか。ですが、これはいろいろ説があって「娑婆以来だねぇ」と言ったのは遊女のほう、とか、心中を誘ったのは遊女のほうとか、上方と江戸で異なるバージョンがあったりするようです。「品川心中」とか「辰巳の辻占」とか題名があります。


 この話が元になったとされる、江戸の遊郭で久しぶりに知り合いに出くわした時に「娑婆以来」と通人が交わす隠語になったとか。


 ぼくは寄席で落語を聴いたことがない無粋者ですが、入院中ラジオで小耳に挟んで感銘を受けました。ところが最近まで勘違いして宇治拾遺物語の中の小話だと思い込んでいました。勘違いは以下の通り。


 800年前ごろ(平安末期)男女が新潟で心中しようと、川に来ましたが女が先に飛び込んだのを見て男は怖くなり逃げてしまいました。日本橋を歩いていたら向うから死んだはずの女が歩いてきました。男はとっさに紙に「娑婆以来」と書いてすれ違いざまに三角巾のように額に当てました。


 このように脳内変換して何てシュールなコントを鎌倉時代に編纂されたのだと大勘違いしていました。シティーボーイズとかサンドウィッチマンのコントみたいだ、と。だいいち日本橋は江戸だろうが大阪だろうが800年前には無かったと思います。


 ちなみに編纂されたものなので、宇治拾遺物語と今昔物語はカブっているものが多いようです。昭和時代にも露の五郎という落語家さんがいたような記憶が薄っすらあります。


                (参考:平凡社)

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