昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ママと呼ばないで

 70年代半ばですから昭和50年ごろですね。そのころはもうバンカラ学生というのはほとんど姿を見せませんでしたが、友人の中に一人バンカラを気取ったひとがいました。

 ジーンズに長髪ここまではみんなと同じです。それなのに下駄を履いていました。髪も少しなびかせる感じで女性的な長髪とはちょっと違います。

 初対面のころはジョン・レノン風の円いメタルフレームのメガネをかけていたのですが、後年レイバン風のフレームになりました。

 下駄を鳴らして奴が来る、腰に手ぬぐいぶら下げて(^^♪はいなかったですw


 その彼がうちに泊まった夜、自宅に電話したのをうちの母が偶然聞いていたのを後日知りました。彼の口から

 「ママ」という言葉が聴こえてきたそうです。

 一見バンカラ風の彼がママと呼んでいたのには仰天しました。もっとも彼には妹がいましたから電話口に妹が出てママに伝えておいてという話だったかもしれません。

 実際うちも妹が生まれてから両親をパパママと呼ぶようになりましたから。あのころは猫も杓子もパパママと呼ぶ子どもが多かった気がします。

 それでいて学校や友人と会っているときは、おやじおふくろと言っていたように思います。


 近年はまたおとうさんおかあさんと呼ぶ風潮が戻ってきたようですが、そう呼ぶのが大人になった時も違和感なく、良いのではないかと思えます。

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