昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

同潤会アパート

 祖母は戦時中、日本橋室町の「にんべん」の隣りに住んでいました。
 祖母の従弟のH雄と従妹たちが転がり込んできて危うく乗っ取られそうになりました。苗字が同じだったためです。印鑑登録を祖母の名前も入ったハンコで作り直し、難を逃れました。祖母には被災者居住権があったのです。


 その被災者居住権で引っ越すことを検討しました。その際挙がった物件には代官山や表参道の同潤会アパートも含まれていました。どちらも渋谷区ですが、昔は豊多摩郡と呼ばれていました。大正や昭和初期の生まれの人なら「渋谷なんてぺんぺん草が生えてたよ」と言ったりします。


 六本木6丁目の土地も候補に挙がりました。後にメイ牛山のハリウッド化粧品になるところです。戦後間もないころ、麻布材木町から六本木になったところです。


 そうこうしてる時に赤坂表町の物件が出てきました。戦前日本生命の営業で赤坂區は馴染みがあったので、祖母は赤坂に住むことにしたのです。

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