バンド ⑥ 初レコーディング
昭和56年ごろ、初レコーディングしました。フリー・インプロヴィゼーションのバンドのメンバーでです。
レコーディング直前にトランペットの人が参加していましたが、脱退したのです。彼は音大の学生なので譜面どおりに吹けましたが、アドリブひとつ出来ないのです。にもかかわらず他の楽器に対して偉そうに意見を言いました。
まあアドリブが出来なくても問題はありません。フリーなインプロヴィゼーションが出来ればいいわけです。ですが、彼自身も安易にバンドというものを体験したかっただけのようでした。
ともかくオムニバスアルバムの話が持ち込まれました。2つのバンドでA面とB面でLPを制作しようというわけです。もう1つのバンドはフリーな部分はあるものの、フュージョン寄りのサウンドでした。
レコーディングスタジオは東京郊外のT市にありました。Hさんという人の自宅の部屋をスタジオに改装したものです。
機材はTEACのTascamシリーズの8トラック8チャンネルのオープンリールテープレコーダーだったと思います。ミキサー機種は判りません。Hさんがミキシングオペレーターです。
録音時、各演奏者はヘッドホン装着だったと思います。ドラムは2本か3本のマイク使用でした。エレクトリックベースはライン録りでした。
リハーサルはあったかどうか忘れましたが、レコーディング自体は一発録りです。2曲でした。出来は不評ぎみでいつものゆったり感がないとか焦りがあるとかです。
オムニバスアルバムで一人ひとりの費用は10万円程度でした。他にロックバンドのオムニバスにも参加しました。また別のバンドでは自分のオープンリール4トラックレコーダーを使ったり、スタジオでのラジカセ録音など用いてソノシートを自主制作したことがあります。
当時はインディーズという言い方ではなくインデペンデント・レーベルと呼んでいました。