昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

夏休みの自由研究

 昭和42年の夏休みの自由研究は金魚の解剖をしました。中1でした。
 赤坂台町の玄関を入ってすぐに金魚鉢がありました。フナ一匹に黒い金魚一匹、赤い金魚一匹でした。それぞれに名前を付けていました。
 フナはジロウ、黒い金魚はイチロウ、赤い金魚はミナコです。フナがジロウなのは、フナの色合いが灰色のように見えたので、五分刈りにしている次男坊というイメージです。


 イチロウは金魚鉢の中の安全ピンに身体が引っかかって死んでしまいました。なぜ安全ピンが入っていたのか不明です。
 ジロウは金魚鉢から勢いよくジャンプして玄関の三和土に落っこちたことがあります。急いで拾い金魚鉢に戻したところ、何事もなかったように泳いでいました。フナの生命力ってすごいなと思ったものです。ジロウはすごいよ、と母に報告したのを覚えています。
 そのうちミナコも死んでしまいました。ちょうど夏休みの自由研究は何にしようか考えていたので、いっちょ解剖でもしてみようと思ったのです。
 勝手口の外に流しがあったのですが、そこでミナコの解剖をしました。腹の部分にメスを入れて内蔵を取り出しました。それをスケッチしました。


 スケッチしたものと図鑑を見比べながら少し色も塗ったように思います。大きめの模造紙に描きました。心臓とか胃とか腸とか矢印など書いて解説を加えました。
 図鑑を見れば金魚の構造などわかることですが、要は実際に解剖を行なったことが判るように自分なりに図解で説明したわけです。
 そのことが生物のK先生に伝わったようです。二学期に入ってみんなの前で褒めてくれました。


 今やれと言われても出来ません。死んだ金魚など触れませんし解剖なんてもってのほかです。ぎりぎり出来る子どもの年齢だったのかもしれません。

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