昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

六本木PIT-INN YMO ①

 六本木のPIT-INNでYMOの初期を見ました。

 正確には坂本龍一+イエローマジックオーケストラということらしいのですが、年月日も1978年か1979年すなわち昭和53か54年のどちらかで、はっきりとしません。


 ぼくが見た日はギタリストが高中正義でした。日程によってゲストのギタリストが違っているようなので、照合すれば何月何日とデータが出てくると思います。


 他の日は渡辺香津美だったり鮎川誠だったりしたようです。俳優の佐野(冬彦さん)もどこかの日に見に来ていたそうです。


 渡辺香津美の話によると六本木のPIT-INNの場合フュージョンバンドも出演可という雰囲気が出来上がっていたそうで、そうでなかったらYMOなど、そのころどこの馬の骨か判らないジャンルのバンドなんか出演できなかった、というのです。

 坂本龍一+ユニットという形だから出られたということでしょうか。海外ツアー前で1stアルバム発表前ですからブレイク前です。


 で、高中正義が参加した日のことを思い出すと細野さんがプンプンしていたことが強く印象に残っています。
 細野さんは高中が嫌いなんだろうなと思いました。細野さんはけっこう感情を表に出すと思います。


 はっぴいえんど再結成の85年ぐらいのステージで吉田拓郎が司会でしたが、細野さんは拓郎のほうを一瞥もしません。
 70年代にラジオではっぴいえんどのメンバー同志で喋っているときも「君の髪が~w」(実際の歌詞は僕の髪が~ですがw)と、おちょくっていました。


 拓郎はラジオで松本くんと鈴木くんとは懇意にさせてもらっているが、細野大瀧両氏とは接点がないと語っていました。

 ただ70年代はじめに拓郎がDJを務めるラジオ番組でやけにはっぴいえんどを賛美していて、バックバンドの「猫」がはっぴいえんどだったらと言葉を漏らすこともあったようです。


 そういう間接的なラブコールは送っていても、細野のほうで嫌っていたから共演話が持ち上がらなかった可能性も考えられます。レコード会社も違いますけどね。


 拓郎は70年代前半のツアーのメンバーを自分で探したのにステージで言っていますね、
 「柳田ヒロ、高中正義、小原礼、チト河内、ギンギラギンのやつばっかりw」と。

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