バイト 現像所
昭和54年ごろだったか記憶があいまいですが、年の初めだったのは覚えています。現像所でバイトしました。
そのころすでにフリー・ジャズはレコードで聴いたりしていましたが、バイト先で知り合った同じ歳のMTさんにデレク・ベイリーの2枚組のアルバムを借りてデレク・ベイリーもいいもんだなと思いました。タイトルは忘れました。ソロでアコギかフルアコかとにかく電気を通さないギターで完全フリーのアルバムです。フリー・ジャズじゃなくてフリー・インプロヴィゼーションです。
バイトは朝、写真屋さんを何軒か廻り撮影済フィルムを回収します。午前中現像所に出勤し、フィルムを作業工程に乗せます。フィルム現像は機械がやって同時プリントもほとんど機械が自動的に焼き付けます。ネガの状態によって部分的にベテランの人が焼き付け作業をします。
印画紙は新入りが暗室でロール巻きし、現像工程に回します。焼き直し工程をして袋詰めし、夕方帰り掛けに朝廻ってきた写真屋さんに寄って出来上がったプリントとフィルムを配送します。車の人もいますが、新入りは往きも帰りも電車です。
2歳上の女性Uさんが気さくに声を掛けてきました。Uさんは気さくすぎて、ちょっとクソしてくる、と言ってトイレに行きます。もう5年ぐらい働いているんだろうと思って訊いたら、入って一週間でした。ぼくより数日早いだけでした。
Uさんの担当はまだできたばかりの渋谷の「109」にあるDPEでした。昼食は社員食堂にUさんと向かい合って一緒でした。喫茶店も一緒のことが多かったです。
Uさんが昼休み文庫本をカバーをかけて読んでいたので、字面から「山手樹一郎か何か?」と訊いたら「どうしてわかったの?」と返ってきました。ぼくも本屋さんで立ち読みして山手樹一郎は読みやすく面白そうだと思っていたので、あてずっぽうで言ってみたのです。
Uさんは人妻でした。なのに団塊のMKさんも何となくUさんと話したがっている様子でした。
そのうちUさんは妊娠をしてバイトをやめてしまいました。言うまでもなく旦那さんとの子どもです。
MKさんとぼくは喪失感に襲われました。Uさんがいたころはライバル視していたのに、昼休みとかMKさんと親しく話す機会が増えました。このMKさんが思想的なことをぼくに話し始めたのは、それほど後のことではありません。