昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

太地喜和子

 太地喜和子は幼少期から市谷河田町で育ちました。


 東京女子医大のバス通り、あの女子医大通り沿いにタワーマンションがあります。スーパー「サントク」もあります。以前フジテレビがあった付近です。
 あそこらへんに昔江戸のころに徳川さんの下屋敷があったそうです。


 それが戦後まもなくかに都営住宅になって、といっても文化住宅いわゆる長屋仕立てのバラックだったそうですが、そこに太地喜和子は住んだわけです。昭和18年生まれですからホントに戦後まもなくでしょう。
 隣り町は市谷仲之町ですが、そこにある牛込仲之幼稚園~小学校に通いました。


 「若松河田」駅の出入口のところに今はタリーズがありますが、あそこの通りは職安通りです。
 若松町交差点で二又三又に分かれていますが、北側の通りはそのまま大久保通りで、北上すると喜久井町、東の柳町方面へ行く途中に昔「寿美浴場」という銭湯がありました。
 
 近くに下宿していたカバン持ち時代の志村けんが通っていたということです。


 職安通りを西に行くと抜弁天という小さいお宮さんが通りの角にあります。柳町の団塊小父さんの話では、抜けられる路地があるから抜弁天と言う、んだそうです。ホントかどうか判りません。


 太地喜和子の思い出話にも抜弁天は出てきました。若い俳優が近くで育ったというと私も近所で育ったのと番組で言っていました。


 抜弁天の裏に余丁町があります。最近は市谷台町から上がってくる道路が拡幅されたせいか余丁町に瀟洒なマンションも建ちはじめました。
 路地を入ると出世稲荷があり近くに永井荷風の実家も一時あったということです。祖父母も大正時代の短期間余丁町に住んだことがあります。

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