映画館の看板描き
映画館の看板描きをしていた小父さんは、浅草の映画館は顔パスで入っていたそうです。戦後の映画はほとんど見たと言っていました。浅草出身の小父さんが特攻隊の生き残りという話は以前書きました。
府立三中から上野の美術学校へ進んで絵描きになるつもりがまさかの特攻隊です。
看板描きをする前は横須賀の米軍基地で運転手などをして米兵から仕入れた洋もくなどを闇で売ったりしてたそうです。闇のたばこは祖母もしていた時期もあったそうで、珍しい話ではありません。
小父さんはwaterは「ワラ」と発音する、これは父も同じことを言っていました。
映画通の小父さんに邦画で見たいのは何か?と訊いたところ、即座に「浮雲」、「めし」と返事が返ってきました。恋愛ものはゴメンだよとぼくに告げました。ぼくはさっそく家にあった「浮雲」と「めし」のDVDを持っていって貸しました。