昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂の街の凋落

 8、9年前でしょうか。一ツ木通りの六地蔵尊(浄土寺)の境内で盆踊りがあったので、出かけていきました。暗い中知った顔はいないかそれとなくぐるっと歩き廻ってみました。ビールを無料で振る舞われ気分は上々でした。品のいい可愛らしいお婆ちゃま、知らないひとですが聞くと六本木から来たそうです。
 盆踊りも宴たけなわ、何となく知っている顔のオバサンがいたので声をかけました。

 オバサンはやっぱり文房具店のTくんのお母さんでした。子どものころ買物に行くと店に出ていたオバサンです。そのうちの息子とは幼稚園と小学校がいっしょです。聞くと息子は中学から私立の有名な学校に進学したそうです。
 バブルのころ地上げ屋が来て100億(ちょっと数字はうろ覚えです)で売ってくれとか言われたそうです。それでも売らず頑として土地を守り抜いた、ということです。現在でもおそらくけっこう立派なビルヂングに暮らしていると思われます。

 赤坂の商店街や何やかんやはバブルのころ地上げに遭ったり株で大損して不動産を手放さなければならなくなったり色々苦労したようです。その中には文房具店の大手チェーンもあったりします。信用金庫もおそらく一枚噛んで不良債権や何やかんやで迷惑もかけ自らも解体したと風の噂で聞きましたが、確かなことは判りません。祖母は昭和42年に退職しているので、バブルとは年代が離れています。

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