昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

浅草の小父さん ③

 浅草の小父さんは「駒形どぜう」の近くで幼少のころ過ごしたと聞きました。ぼくの祖母も昭和3年から7年にかけて近所に住んでいました。炭店を二番目の夫と営んでいました。ですから浅草の小父さんの幼少のころに祖母と道ですれ違っていただろうと思います。
 小父さんは昭和20年の3月10日の東京大空襲でご両親を失くしました。小父さんは南の島にいたそうです。5月ごろ一旦帰京し、ゆくえを探したそうです。ご両親は空襲に逃げ惑う中、大八車を引いて隅田川の付近を走っていくのを見たという情報は得られたものの、行方知れずのままになったそうです。隅田川の東に戦没者の慰霊碑がありますが、そういうところでしかお参りは出来ない現実があります。しかも相前後して長兄は戦死したわけですから小父さんは絶望の極致にいたわけです。自分だけ生き延びてもしょうがない、戦死したほうが気が楽だったとも言っていました。
 父方の親戚にも大正15年12月生まれの人がいます。ですが、その人は戦争に行きませんでした。このあたりの年齢は戦争に行くか否かが分かれるようです。同じ月生まれの浅草の小父さんは府立三中の途中で志願して予科練に入ったのです。優秀な人ほど出世が見込めると思い、志願する人も多かったのかもしれません。そのあたりのことはその世代でないとよく判りません。

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