昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

できちゃった婚→おめでた婚

 最近できちゃった婚という言葉は死語になりつつあるようだ。その件についてふかわりょうが司会のある番組でマツコ・デラックスがコメントした。
 「もうさ、いいじゃない。だいたいできたから結婚しようとかさ、そういうことでもなきゃ結婚に踏み切れないんだし。二人の中でそろそろ子ども作ろうかとかさ。結婚しないで仕事してそれなりに充実した暮らししてる人もいるんだし、そんなこといちいち気にするなって思う」
 これに対してふかわは、
 「最近はおめでた婚とも言われてますしね」




 考えてみれば、できちゃった婚という言葉は80年(昭和55年)以降のような気がする。じゃあ、その前はどうだったか?


 実はうちは二代続けてできちゃった婚である。少なくとも祖母はそうである。
 祖父に当たる人が猛烈なアタックで祖母に結婚を申し込んだ。二人ともまだ19、20才である。祖母はそのころ濃艶なる女と噂されるほど魅力があったらしい。濃艶なんて言葉は荷風の小説などでしか今や見いだせない古い言い回しだが。祖父はその評判によけいに奮い立ったのかもしれない。


 祖母は祖父から逃れるために上京し、虎ノ門(芝西久保巴町)のとあるうちに一人住まいをしていたが、「父危篤」の嘘の電報により帰郷したのである。


 嘘の電報はむろん祖父によるものだったが、まんざら嘘だったわけではないようだ。息子(父)を出産した大正11年に曽祖父は亡くなっている。それで正式に籍を入れた。
 ということは曽祖父は1年前後、容態が悪かったと推察される。でなければ祖母が電報を嘘と見破れないはずはない。曽祖父は1860年生まれ、マーラーと同じ年だ(笑)。


 両親に関してニュアンスとしてはおめでた婚に近い。ぼくが生まれた一週間後に籍を入れた。
 極端にいえば、子どもが産まれなければ離縁も有りうる時代だったのだ。いやもう戦後も9年経っていたから新式の考えがあって然りと思うが、明治大正生まれの頭の中にはそういう慣習が残っていたのかもしれない。離縁した場合でも、戸籍に✖印が付かないまま再婚を考えられるという配慮もある。
 これはその家によって異なることとは思う。が、空白の何十年かで結婚してから子どもが生まれるのが体裁がよい、といつのまにか慣習になっていた。


 だからでき婚などと恥じることでは元々ないのである、と思う。
 おめでた婚、なるほどふさわしい言葉だ。言葉の問題ではない、考え方に古いも新しいもない、この件に関してはそう思う。

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