堀内誠一
天才と呼ばれた人がいる。アートディレクターで後に絵本作家になった堀内誠一である。
堀内誠一は1932年に生まれて1987年に死去した。
戦後まもない1947年に家庭の事情で当時の商業高校を中退し、14歳で伊勢丹に入社した。
1955年にアドセンターを立ち上げた。
1958年に内田路子と結婚。内田路子は洋画家内田巌の娘。明治の評論家内田魯庵の孫。
1968~69年には澁澤龍彦とともに『血と薔薇』に参画。
1974年にはパリに移住。独特のパリ案内図やヴェネチア案内図などを描いている。
↑ パリ案内図
堀内は週刊平凡やan an、POPEYE、BRUTUSなどのロゴを考案。
カメラマンの立木義浩と仕事を共にすることが多かった。堀内自身は「ロッコール」という雑誌も刊行しているのでもしかしたらミノルタ愛好家だったかもしれない。
最近までこの人の名前は知らなかったが、雑誌などは誰もが知っているものばかり。
だが、特に『血と薔薇』はびっくりした。