昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

加藤和彦はうお座だった?

 一般的に何座かなと思うとき、週刊誌の最後のほうに出ている星占いコーナーで3月21日から4月19日までおひつじ座とか書いてあります。のでそれで判断している方が多いと思います。


 その範囲内ならともかく境界線の日に生まれた人はちょっと戸惑ったことがあると思います。


 加藤和彦は1947年3月21日生まれと昔から知っていたので、おひつじ座と頭から思い込んでいました。


 でも47年3月21日の星座を天文暦でよく見ると、3月21日は晩の8時15分までうお座なんです。


 つまり太陽が晩の8時15分までうお座にあるということです。


 当たり前ですが、晩の8時15分以降はおひつじ座ということです。


 逆にうお座である可能性はかなり高いと言わざるを得ません。



 それと月は何座かというと、うお座に決定です。みずがめ座もおひつじ座も確率としてゼロです。


 しかも水星と火星がうお座です。金星はみずがめ座です。


 で、木星から冥王星までは団塊世代のよくある星座の配置です。


 ですから問題は太陽がうお座なのかおひつじ座なのかです。
 しかし明確には答えは出せません。個人的にはうお座だと思います。


 その根拠はリズムです。おだやかな喋り方であったし、早口で論理を展開するタイプではなかった、と思うんです。



 生年月日が1日ちがいの1947年3月20日生まれは景山民夫です。彼は早口でしゃべるタイプでした。
 景山氏も太陽はうお座、いわゆる何座というと、うお座なわけです。で、月はみずがめ座です。
 水星、金星、火星は加藤和彦と同じなわけです。


 リズムがちがうというのは加藤氏がうお座、うお座(太陽、月)で、
 景山氏はうお座、みずがめ座(太陽、月)です。


 これ以降は自分の研究分野なので一般の方に言ってもすぐに理解されませんので、ここでは説明しません。


 が、太陽と月の星座が加藤氏と景山氏でちがうということがキーポイントです。


 別に何座だからどうだとか月が何座だからとか単独の星座を問題にしているわけではありません。関係性です。



 加藤和彦自身もおひつじ座だと思っていたかもしれません。ただ他の惑星の星座配置はうお座がかなり多い。


 うお座が多いからどうこうというのは、この文脈では関係ありませんが、太陽がうお座だった場合、かなりうお座っぽい人だったんではないかと思います。



 要は確実なデータがあれば予測ははっきりします。またホロスコープも作成できますから専門家が見ればいろいろなことが分かると思います。

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